2026年09月20日 00:01
学生服には大手が4社あります。カンコー学生服の菅公学生服、トンボ学生服のトンボ、富士ヨット学生服の明石スクールユニフォームカンパニー、スクールタイガーの瀧本。
企業リストで引くと、上の3社が全部、岡山県でした。
しかも菅公学生服とトンボは岡山市北区、明石スクールユニフォームカンパニーは倉敷市児島。4社目の瀧本だけ大阪府東大阪市ですが、その瀧本も2019年5月31日の株式譲渡で親会社が日鉄物産からトンボに変わり、いまはトンボの子会社です。
なぜ岡山なのか。3社の創業を読んだら、全部ちがう商売から始まっていました。
菅公学生服の創業は1854年(安政元年)です。創業者の尾崎邦蔵が、備前国児島郡田ノ口村――現在の倉敷市児島田の口――で綿糸の卸業を始めました。学生服の一貫生産に入るのは1923年で、法人化(尾崎商事株式会社)は1929年です。
トンボは1876年(明治9年)、三宅熊五郎が現在の岡山県玉野市八浜で足袋の製造を始めた会社です。1924年に帝国足袋株式会社へ改組し、1930年から学生服の製造を始めています。社名はその後、帝国興業(1944年)、テイコク(1974年)と変わり、2006年に株式会社トンボになりました。
明石スクールユニフォームカンパニーは1865年(慶応元年)、明石役造が真田紐類の製造業「西屋」を創業したところから始まります。小倉真田帯地と細紐類を作っていました。被服の製造を始めたのは1932年で、明石被服興業株式会社の設立は1944年です。
綿糸、足袋、真田紐。3社とも、学生服の会社として始まっていません。そして、学生服に移った年がそろっています。1923年、1930年、1932年。
倉敷市の年表に、答えらしいものがありました。
児島は、もともと島でした。豊臣政権の五大老・宇喜多秀家が始めた干拓が江戸時代以降も続き、島が陸続きになって半島になっています。1829年には野崎武左衛門が児島の味野・赤崎で塩田事業を始めました。
そして江戸時代、児島地区は岡山藩の支藩である天城池田家の支配下で、塩田に加えて、周辺の新田で栽培された綿花を使った機織りが盛んになります。藩はこれに専売制を取り入れ、財政の柱にしました。
その機織りから生まれた名産品が、真田紐と足袋です。「繊維の町・児島」の素地は、ここで作られています。
そのうえで、年表にはこう書かれていました。
| 年 | 児島で始まったこと |
|---|---|
| 江戸時代 | 綿花の栽培と機織り。真田紐・足袋 |
| 1921年(大正10年) | 学生服の生産が始まる |
| 1965年(昭和40年) | ジーンズの生産が始まる |
1921年に児島で学生服が始まり、その2年後に菅公学生服が学生服の一貫生産に入り、9年後にトンボが、11年後に明石が続いています。3社が同じ時期に学生服へ移ったのは、同じ土地で同じことが起きていたからでした。
そして44年後、同じ土地でジーンズが始まります。
いま児島は、学生服と、企業や官公庁の制服の生産高が日本一であると同時に、国産ジーンズ発祥の地です。味野の商店街では、空き店舗にジーンズメーカーが直営店を出し、「児島ジーンズストリート」と呼ばれています。
真田紐、足袋、学生服、ジーンズ。同じ土地が、江戸時代から1965年までのあいだに、作るものを替え続けています。
3社が岡山にあるのは、岡山が学生服の土地だからではありませんでした。児島に、厚手の布を織って縫う土地があったからです。
そこで作られるものは、藩の専売品から、庶民の履物から、通学服から、作業着由来のズボンへと替わりました。替わったのは商品のほうで、織って縫うという工程は残っています。菅公学生服が1854年に綿糸を卸していた児島郡田ノ口村は、いま明石スクールユニフォームカンパニーの本社がある倉敷市児島田の口です。170年たって、同じ地名に別の会社がいます。
産地の会社を探したときは、今治のタオルのように、産地の名前は有名なのに会社が企業リストに出てこない例をいくつも見ました。児島は反対で、会社のほうがリストに出てきます。売っているのが「児島の学生服」ではなく、カンコーであり、トンボであり、富士ヨットだからです。
| 会社 | 所在地 | 売上高(億円) | 売上の出典 | 従業員 | 1人当たり(万円) | 創業 | 所在 | ブランド・出自 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 菅公学生服 | 岡山県岡山市 | 414.2 | 2023年度(グループ連結) | 3,031 | 1,367 | 1854 | 岡山県 | カンコー学生服。綿糸卸から |
| トンボ | 岡山県岡山市 | 384.5 | 2020年6月期(連結) | 1,896 | 2,028 | 1876 | 岡山県 | トンボ学生服。足袋から |
| 明石スクールユニフォームカンパニー | 岡山県倉敷市 | 315.2 | 2024年12月 | 592 | 5,324 | 1865 | 岡山県 | 富士ヨット学生服。真田紐から |
| 瀧本 | 大阪府東大阪市 | 87 | 2020年6月期 | 180 | 4,833 | 1925 | 大阪府 | スクールタイガー。2019年にトンボ傘下 |
4社は、公的オープンデータから作った企業リストから選びました。各社の沿革・創業地・ブランドの記述、および児島の年表・産業に関する記述は、いずれもWikipedia日本語版の各記事(各社および「倉敷市」)に拠ります。一次資料(有価証券報告書・決算公告・各社サイト・倉敷市の資料)では取り直していません。
表の「創業」は、法人の設立年ではなく創業年です。 菅公学生服の1854年は綿糸卸の創業、トンボの1876年は足袋の製造開始、明石スクールユニフォームカンパニーの1865年は真田紐類の製造業「西屋」の創業です。法人としての設立年は別にあります。菅公学生服(尾崎商事)は1929年、トンボ(帝国足袋)は1924年5月10日、明石スクールユニフォームカンパニーは2014年12月です。明石は2015年に企画・営業部門(明石スクールユニフォームカンパニー)と製造・物流部門(明石被服興業)に分社化されており、リストに載っているのは前者です。瀧本の1925年は瀧本合名会社としての発足年です。
売上高の基準がそろっていません。 菅公学生服の414億2,100万円は2023年度のグループ連結、トンボの384億5,100万円は2020年6月の連結、明石スクールユニフォームカンパニーの315億1,900万円は2024年12月、瀧本の87億100万円は2020年6月期です。単体と連結が混ざっています。
1人当たり売上高も、そろっていません。 菅公学生服の3,031名はグループ全体で2024年7月末時点、売上は2023年度なのでずれています。トンボの1,896人もグループ全体で年次の記載がありません。明石スクールユニフォームカンパニーの592名は分社後の同社のみで、グループ合計は1,421名と別に書かれています。表の1人当たりは、このずれを含んだ数字です。
大手4社という括りは、各社のWikipedia記事に共通して書かれているものです。 業界統計で確かめたわけではありません。「学生服・制服の生産高が日本一」(児島)もWikipedia日本語版「倉敷市」の記載で、出典元の調査方法は確認していません。
株式会社トンボは、企業リストの上ではWikipediaの「トンボ出版」に紐づいています。 トンボ出版は大阪の出版社で、別の会社です。社名が短く一般的な語だと同名の別法人が混ざりやすく、食品スーパーを調べたときにも同じ形の誤りが3件出ました。この記事の数字は、正しい「トンボ (企業)」の記事から取り直しています。
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