2026年09月18日 00:01
公的なオープンデータで作った企業リストを売上高の順に並べると、上のほうは東京・大阪・愛知が続きます。そこに、ときどき見慣れない住所が混ざります。
宮城県黒川郡大衡村中央平1番地。売上高1兆877億円。
大衡村は仙台市から約30キロメートル、宮城県で唯一の村です。会社の名前はトヨタ自動車東日本。トヨタ自動車の完全子会社で、従業員は約7,200人と記載されています。
村に1兆円の工場がある、という話だと思って読み始めました。少し違いました。
同じ形の会社を6社まで拾えました。全部、上場企業の100%出資の子会社です。
順に見ていくと、町のほうにも共通点がありました。工場が来る前に、その町には別の産業があって、それが終わっています。
福岡県宮若市。明治時代から石炭を掘っていた町で、筑豊最大の貝島炭鉱がありました。エネルギー革命で炭鉱は次々に閉じ、1976年までに市内の全ての炭鉱が閉山します。そのあと九州自動車道の若宮インター近くに工業団地を造成し、1992年にトヨタ自動車九州が生産を始めました。
北海道苫小牧市。1910年竣工の王子製紙の工場から始まった製紙の町です。トヨタが1990年に進出を発表し、翌年トヨタ自動車北海道を設立しました。苫小牧を選んだ理由は、広大な土地があること、苫小牧港があって物流に優れていること、アルミニウムを現地調達できることだと記録されています。
熊本県菊陽町は少し違います。ここは熊本市のベッドタウンで、人口増加率が全国トップクラス。2000年の国勢調査で28,360人だった人口は、2020年に43,337人になっています。1987年に東京エレクトロン九州、2002年にソニーセミコンダクタ九州(現・ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング)が工場を動かし、半導体関連の進出が続きました。2022年にはTSMCの子会社JASMの建設が始まっています。
福岡県苅田町は、1975年の日産自動車の進出以来「自動車の町」です。1975年度以降ずっと地方交付税の不交付団体で、2024年時点では福岡県内で唯一、九州でも佐賀県玄海町と苅田町の2つだけと記載されています。
そして大分県中津市。ここに来た会社の経歴を読んで、話の見え方が変わりました。
ダイハツ九州は、大分県中津市大字昭和新田1番地にあります。売上高4,543億円、ダイハツ工業の100%子会社です。
設立は1960年6月1日。群馬県前橋市です。
当時、企業誘致を進めていた前橋市が用意した土地は、中島飛行機前橋第一工場の跡地でした。社名は「株式会社ダイハツ前橋製作所」。1977年に「ダイハツ車体株式会社」になり、44年間、群馬で軽自動車を作っていました。
2004年、本社機能と本社工場を大分県中津市へ移します。用地に余裕があり、海上輸送に適していることが理由でした。2006年に社名を「ダイハツ九州」に変更しています。
移転距離は1,000キロメートル強。従業員は転居か単身赴任を拒む場合、退職を余儀なくされました。群馬県と前橋市は関連企業を含めた産業空洞化を懸念して移転中止を求めましたが、止まりませんでした。前橋の旧本社工場跡地は、進出後の高度成長期に市街化が進んで住宅街に囲まれており、2007年3月10日に大規模商業施設「けやきウォーク前橋」になっています。
工場が来たのではなく、会社が引っ越してきた。しかも名前を変えて。
そう分かったところで、大衡村に戻ります。
トヨタ自動車東日本は2012年7月1日に、関東自動車工業がセントラル自動車とトヨタ自動車東北を吸収合併して生まれた会社です。存続会社は関東自動車工業のほうで、法人としての設立は1946年4月25日、神奈川県横須賀市の会社です。
ところが本社は横須賀に置かれませんでした。吸収された側のセントラル自動車の本社跡地、宮城県黒川郡大衡村に置かれています。横須賀の旧本社は「トヨタ自動車東日本横須賀事業所」に名称が変わりました。
ではセントラル自動車はどこの会社だったかというと、神奈川県相模原市です。1950年にトヨタ自動車が蒲田工場を閉鎖したとき、元従業員の有志が中心になって設立された会社でした。
2007年10月23日、同社は宮城県の第二仙台北部中核工業団地とその近接地へ本社・工場を移すと発表します。ここから起きたことが、記録に細かく残っていました。
そして、そのあいだに挟まっている一行が、この記事を書こうと思った理由です。
2010年4月1日 - 新本社工場と周辺地域の計152haの住居表示が実施され、造成前の大衡村大衡・奥田・松の平から、セントラルを和訳した日本語に因んで「中央平(ちゅうおうだいら)」に変更。同地に郵便番号981-3609を新規付与。
大衡、奥田、松の平という3つの字が、152ヘクタールぶんまとめて「中央平」になりました。セントラルの和訳です。郵便番号も新しく振られています。
新本社工場は2011年1月6日に本格稼動し、1月12日に第1号車がラインオフしました。その2か月後の3月11日、東日本大震災が起きます。生産ラインの被害は比較的軽微でしたが、出荷のため仙台港のモータープールに集めてあった完成車が津波に流されました。
セントラル自動車が本社の所在地を正式に宮城県へ移したのは2011年6月20日です。そしてその1年後の2012年7月1日、同社は関東自動車工業に吸収合併されて解散しました。
地名だけが残りました。
企業リストの住所欄には「宮城県黒川郡大衡村中央平1番地」と入っています。
この住所は、会社が来る前には存在しませんでした。そして、この地名の由来になった会社は、地名ができた2年後に消えています。今そこにあるのは、法人としては1946年に神奈川で生まれた別の会社です。
ダイハツ九州の住所欄は「大分県中津市大字昭和新田1番地」で、群馬県前橋市の44年間はどこにも出てきません。
見慣れない地名だと思ったのは、私がその町の今しか見ていなかったからでした。住所は、会社がいまどこにあるかを書きます。いつからそこにあるかは書きません。
| 会社 | 所在地 | 売上高(億円) | 売上の出典 | 設立 | 来かた | 親会社・備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| トヨタ自動車九州 | 福岡県宮若市 | 13,969.7 | 2026年3月期 | 1991 | その土地で設立された | トヨタ自動車100%・レクサス |
| ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング | 熊本県菊陽町 | 13,746.5 | 2026年3月期 | 2001 | 同じ地方の中で本社が移った | ソニーSSSの完全子会社 |
| トヨタ自動車東日本 | 宮城県大衡村 | 10,877.3 | 2026年3月期 | 1946 | 県をまたいで本社が移ってきた | トヨタ自動車100%・神奈川から |
| ダイハツ九州 | 大分県中津市 | 4,543.3 | 2026年3月期 | 1960 | 県をまたいで本社が移ってきた | ダイハツ工業100%・群馬から |
| 日産車体九州 | 福岡県苅田町 | 2,662.3 | 2021年3月期 | 2007 | その土地で設立された | 日産車体100% |
| トヨタ自動車北海道 | 北海道苫小牧市 | 2,264.5 | 2026年3月期 | 1991 | その土地で設立された | トヨタ自動車・変速機 |
6社は、公的オープンデータから作った企業リストから選びました。各社の沿革・本社所在地・親会社、および宮若市・苫小牧市・菊陽町・苅田町・中津市・大衡村の記述は、いずれもWikipedia日本語版の各記事に拠ります。一次資料(有価証券報告書・決算公告・各社サイト・自治体資料)では取り直していません。
従業員数は載せていません。 6社のうち数字が記載されているのは3社だけで、しかもトヨタ自動車九州が2023年4月1日現在、ソニーセミコンダクタマニュファクチャリングが2024年4月1日現在、トヨタ自動車東日本は年次の記載なし。売上高の2026年3月期とは基準が合わないため、1人当たり売上高も出していません。本文で触れたトヨタ自動車東日本の約7,200人は、宮城大衡工場・宮城大和工場・岩手工場などを合わせた数字です。大衡村で働いている人数ではありません。
「設立」は法人としての設立年です。 トヨタ自動車東日本の1946年は、存続会社である関東自動車工業(旧・關東電氣自動車製造、神奈川県)の設立年です。3社が統合して現在の社名になったのは2012年7月1日です。ダイハツ九州の1960年は、群馬県前橋市で「ダイハツ前橋製作所」として設立された年です。
「中央平」の由来は、Wikipedia日本語版「セントラル自動車」の宮城移転関連年表にある「セントラルを和訳した日本語に因んで」という記述に拠ります。大衡村側の資料では確認していません。
大衡村・宮若市などの人口は本文に出していません。 Wikipediaの自治体記事は人口をテンプレートで読み込む形になっていて、本文からは取れませんでした。菊陽町の28,360人(2000年)・43,337人(2020年)は、記事本文に国勢調査の数字として書かれているものです。
日産車体九州の2,662億円だけ2021年3月期で、ほかの5社より5年古い数字です。
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